昨年(2023年)書き始め
公開できてなかった日記
1年経ったからこそ公開✨
父や畑への想いを綴ります💛
2023年4月、 本格的に父の観光農園を手伝い始めて 5年目となりました(*´▽`*) そして次女誕生から1年経ち 育休明けで仕事復帰❗ というこのタイミングで 会社仕事と畑の両立について 考えてみたいと思います🤔 主には繁忙期に毎週末行ったり (観光農園をしている冬のシーズン約2か月) キウイのお世話や収穫時期にまとめて行ったり それ以外は月1-2行ければという感じです 育休中は夫と週1行けていたこともありましたが 会社仕事が始まると 週末は家事や子供との時間になってます 10歳の娘が2-3歳の頃 当日、東京練馬から週末だけ通って お店を手伝ったのが7年前 平日(月~金)フルタイムで共働きして、 金曜の夜「練馬→湯河原の100㎞」を移動し 土日畑を手伝って、日曜に練馬に帰る そして次の日から仕事… 家族みんな休みなしでしたが あの頃は・・・大変って思うよりも ✔️親に子供を会わせられ ✔️子供も喜んでるくれる ✔️当時72歳の父を手伝いたい って、むしろ前向きでした 私だけじゃなく夫がそう考えてくれてて 今思えばほんと 嫁の実家まで長時間車を運転して 手伝ってくれる夫が1番大変だったろうな…って 頭が下がります🙇♀️ 感謝しかない! お店を手伝いながら オーナーさんやリピーターさんに 優しい言葉をかけてもらい 「こんなに喜んでくれる人がいるんだ😍」と とても嬉しい気持ちになったことを よく覚えています(これもまた感謝(^人^)) それと同時に自分自身も 「非日常体験がリフレッシュになってる。 子供も親も喜んでて楽しい~ヾ(*´∀`*)ノ」 と感じていました ただまだあの頃は 畑の未来のことを漠然と考えていて 父が疲れたら畑はおしまい 畑の手放し方を聞いておかなきゃ という話でした…(感慨深い) それが色んなきっかけが重なって 父の畑を残したい‼️ と思うようになり、今に至ります。 ✨導かれた運命✨というような 親になったからこそのような 今考えても 不思議に感じています あの頃、私が30代・父が70代 もっとお互い若ければたっぷり時間もあるのに と思ったことがありましたが 若かったら気づかなかったことなのですよね むしろ失ってから気づくじゃなくて良かった☺
きっかけ
振り替えると 沢山の縁(エン=導き)がありました ・娘に付いた保育園マークが偶然みかん🍊 ・娘が言葉を発する頃には 「じーじのみかんは世界一」 ・娘が保育園で書いてくる絵は いつもみかん、オレンジ色が大好き ・昔から来てくださるオーナーさんに 頑固父の良いところや みかんが美味しい所を沢山聞く ・昔から来てくださるオーナーさんが 「あの頃連れてきた子供もが親になって、こうして孫とみんなで来てるのよ」 と嬉しそうに話してくれることが印象的だった →私が娘(なーちゃん)を洗脳したと思われがちな 娘のみかん愛は天然です😂 娘からのじーじ愛が強かったように思います。 そしてじーじも孫と会いたいがために 私達家族にとても優しい。私に超あまいw 今思えば・・・ みかん狩りの店番を頼まれたことが、 父の畑に興味を持ったきっかけでした。 あの頃の父は私に継がせる気なかったハズで 思惑なんてなかったのだろうし 私の心変わりに驚いたと思うけれど 私が継ぎたいって話したとき ちょっとは嬉しかったのかなぁ…なんて 思いたい自分がいます 笑 実際は分からないですが お客さんからは 「毎年お父さんが元気になっていくね!」 って声をかけて頂いて この選択はいい方向に進んでるんだ と安心します( *´艸`) 感謝
農家への道
父は今年80歳(1943年生まれ) 「生涯現役」を目標にしてるので 世代交代はまだまだ先のこと と考えているようです 確かに… 父が居ない未来は 準備が必要と思いつつも その具体的な話は もう少し先でいい なので、 父が畑を守ってくれつつ 私が繁忙期を手伝うという サブ的な立ち位置でありながら 少しずつ学んで行こうと思います 何より 100%農業となることを望まない父 というのも 全力投球で農に打ち込むほど 無理しすぎてしまうという人を 沢山見てきたからって 農業は天候に左右され 不定休の仕事 特に父のような1人作業だと 自分で予定を立てこなすので あれもこれも気になりすぎて 無理しがちだそう だから 気軽に5-7割くらいの気持ちで 楽しんでやらないと ただつらい仕事になっちゃうらしい 家族経営農家、兼業農家 昔もこれからもそのスタイルが 良いそうです 母ももともと看護師で、 今は老人施設で働いています 私も夫もシステム関係の仕事で 今年の4月から育休明けの仕事復帰! 考えたらみんな兼業仕事していて 働きすぎだなw ただそれぞれがその仕事を 大切に思っているからこそなのです。
天職といえる仕事
共働きの両親を見ていたからか
高校生の頃から早く働きたい自立したいと思い
就職を目的に情報処理系の短大に行き
(世田谷区にあった産能短大ってとこです
湯河原から往復4時間かかってました)
インターンシップで出会った職業に魅了され
未経験でシステム業に飛び込んだのが20年前
小規模の会社でしたがその分アットホームで
上司や社長にも本当に親切にしてもらい
そして そこで 夫と出会いました(〃▽〃)
社長には毎年ミカンを送って 冗談交えながら
無事に夫と続いてますよ~を報告していますw
就職したシステム業での
ゼロをイチにするモノづくりは毎日発見の連続で
刺激的で楽しく、就職してから今日まで
ワクワクしながら仕事と向き合ってきました。
(リリース作業で徹夜してたとか懐かしい)
当時入社した会社から、フリーランスを経て
今の会社に入社するまで色々ありましたが
考えたらこの20年のうちの16年は
今の会社の方々にお世話になっていて
畑を継ぎたいと思ったきっかけも
今の会社で出会った人が
真面目に話聞いてくれてアイデアくれて
応援してくれていたっていうのが大きい
1つ目の会社で夫と出会い
2つ目の今の会社で親元就農を決意
今振り返るとそれぞれ意味があったようです
そして今もまだ会社への情熱や
パソコン仕事自体が楽しくて
趣味だったりWワークだったり
これから先もパソコンとは関わっていたい
農業✖IT業 これが目標です
こんな考えは中途半端で甘っちょろい
農家さんに失礼かな って思うこともあったけど
現役農家である父が
「むしろこれからの時代は
それくらいがちょうどイイ
楽しみながらバランスよく
無理はしない、無理せず続けられる方法を
考えればいいんだぞ」
って言ってくれた言葉を大切にします
ち、、ちなみに
どちらが本業・副業とか言いたくないのですが
どうしても割合的に会社仕事がメインになります
そのため発送業務などは早朝/休憩/夜間
休日…と限られてしまっています
(兼業OKな会社です)
ただ実のところ、ほんと最近
畑に行くと心が落ち着くというか
みかん愛キウイ愛が強くなり(๑>ᴗ<๑)
これもまた良い気持ちの流れというか
どっぷり沼にはまったようです😅
5年前に親元就農を完全決意し
都内から畑に近い小田原に移住
会社が東京駅なおかげで新幹線で35分
畑には車で25分
時々都会を味わいつつも
自然が味わえる暮らしや働き
贅沢な暮らしを手に入れました!
小田原移住を決めたのも思いつきだったけど
ナイスなヒラメキと実行だった気がする°˖☆
そんな暮らしの人も増えそうだし
リフレッシュがてら畑に来てください♪
ってなっていくといいな
さいごに
めちゃくちゃ長くなりましたが
復職する今だからこそ
自分の思いや決意を言葉にしてみました
つまづいたり落ち込んだり
イライラしたときは ここ読み返して
自分にカツ入れたいと思います👍
自分のエネルギーの源は
やっぱり お客さんとのつながり
ここ数年、感謝還元がテーマです
いつもありがとうございます!
また来年~👋
といえる場所をこの先も残せるように
٩(。•̀ω•́。)و 一歩ずつ前進していきますので
これからもよろしくお願いします
※公開は2024年4月ですが
1年前に書き溜めていたものです
わせちゃん
ここまで読んで頂き
ありがとうございました
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